真の武術

古来、武術の目的は戦いに勝つ、相手を殺す為の手段であった。医術の発達していなかった当時は武術家が医術も行って、武と医は同じことという意味で武医同源という言葉も生まれている。武術も医術も氣を用いたからである。人を叩けば、警察に引っ張られる現代においては、戦いに武術は使えない。殺人の為の武術は無用となった。では、何の為に訓練をするのであろうか?私は半世紀の間、武術の修練に携わって来たのであるが、現代においては、当たり前のことではあるが

活人の為に訓練して平和の礎となるように努力する目的を持って修練に励むという姿勢を持たねばならない。そして真の武術は医術にも通じていなければ、ケガをした道場生を助けることは出来ない。

現代においては武術家はよりたくさんのことを学ばねばならぬと言うことが私の考えである。私は私のことを武術家とは思っても自称もしていないが、武術と医術に通じているという点では私は、武術家である。また、真の武術は氣の修練が必須で、内面のチカラを修練すると武術の究極に到達出来る。神技を体感する。武術に長く携われば、必然的に氣に到達するものであるからだ。そして武術をより高い、より深い極みへと誘うからである。突きと蹴りに

飽きもせずにグローブと胴などつけて

相手と格闘しているうちは真の武術を考える暇も頭も無いだろう。ましてや医術など夢のまた夢の世界だろう。そんなことをして、オレは強い、と思っている者には無縁の話である。言っていることは

理解出来ないだろう。