執着強欲と誇り

マスコミを賑わす世の中の事件の根幹の原因は人間の持つ執着と欲望を制し切れずに一線を超えて、犯罪を犯してしまうことであろう。人としての常識的な誇りを持っていれば、そんなことにはならないはずである。カネ、オンナ、セックス、名誉心、嫉妬、怒り、など仏教で言うところの執着は瞑想と反省で離れることができる。自分の人生を狂わすこれらのことはその時一時だけで、ムラムラと湧き上がって来る感情であるけれども、

時が過ぎて良く深く考えてみれば、実体の無いものでそれらのことが自分に無くともそれらは基本的に必要はない。価値観を別のところに焦点を当てれば何でも無いものとなる。人としての良心と誇りがあれば、自然界の雨や風のようなもので、

一時しのげれば通り過ぎて行くことで、

誰でも経験するが、それに強く執着する者などはいない。何かを自分の人生に

達成することを見つけて一生懸命に追い求めて最後に到達するところの誇りを持つと、

他の欲望や執着には囚われない自分を

形成することができる。尤氏長寿養生功を訓練すると瞑想が習慣づけられて、遂には欲望や執着を制して心の安定を求めて安心に価値観を置いて欲望と執着を内省するチカラが育つ。それでも消滅する訳では無い。瞑想を続けて強欲と執着の妄想に気づくことが出来れば事件と犯罪は起きるはずがない。尤氏長寿養生功を学んでも本人の邪悪な資質と努力の無さで事件犯罪となる事案を引き起こす者がいる。資質と努力以外に瞑想と修行の時間が足りなかったことが原因であっただろう。