心身革命

言うまでもないことだが、身体を変えないと身体の中身である心、精神を変えることは出来ない。私が習得した尤氏長寿養生功の根幹を成す修行の大半はもう承知のように瞑想であった。つまり、意拳の意の部分である意念を徹底的に鍛えることであった。立っては瞑想、座って瞑想、筋力の鍛錬はブッ倒れるまで筋力を鍛える。動けなくなるまでやる。瞑想する時にはもうこれ以上静かになれないところまで静かになる。明鏡止水の境地である。微動だにしない。自分の心臓の音が聞こえるような静けさを経験する。

動と静の極を経験する。これは私の経験から導かれた私見であるが、氣のエネルギーの量は動と静の差が大きくなると氣のエネルギーが比例して大きくなる。動と静のエネルギーの差で、氣の量が決定する。つまり、動けなくなるまで運動して、それ以上静かに出来ないところまで全く動きのない静けさを経験する。静寂と躍動の差が、プラスとマイナスの電気のように氣を生むのであると私は長年の修行の間の観察と実験で確信を得ている。実験と観察を繰り返すこの氣功の修行はまさに科学である。身体革命と精神革命の両方を一度に成す尤氏長寿養生功は心身革命の手段となる。