一点の曇りも無いか?

尤氏意拳と称する武術団体には立ち上げる時には何の良心の呵責無く公明正大な心でこの武術を立ち上げたのかその生徒たちは宗家創始総師範と豪語する姜吉隆に聞いて見るがよい。私が推測するには、何も答えることは出来ないだろう。

カネを返さずに私に破門されて、こうなったらヤケクソで、後は野となれ山となれ、で、自分が武術団体のトップになったら、誰も文句は言えまい、自分で開いたと言えばいい訳になる。もちろん、姜吉隆に私以上のチカラがあればの話である。三十年前に習った私の初歩のワザでは無理である。あれ以来、私から習わずにはどうやって氣を増大させることが出来ようか?カネの不祥事は解決出来てない。ドクター尤からも師母からも習ってない。私に習ったのはたったの一ヵ月だ。尤氏長寿養生功をたったの一ヵ月しか習わないのに尤氏意拳と名乗ることはよほどの天才か、よっぽど傲慢でキチガイのどちらかである。武術に秀でる者は

学問にも通じている者である。大学受験に何回も落第して私が見限り、短大に行かせてやったのが関の山のオトコが新武術をたった一ヵ月習っただけで作れる訳が無いから、よっぽど傲慢でキチガイの口だろう。天才であるはずはない。一点の曇りどころか、曇りの色は真っ黒で真っ暗だ。カネの問題と武歴詐称の問題が解決していない。スタートがこんな曇った武術団体はお先真っ暗で、崩壊して解散の憂き目に合うのは目に見えている。

世の中を甘く見るんじゃない。私に会って、あまりに簡単に欲しいものが手に入って舞い上がってしまったのである。密教の瞑想をするので、欲しいものが手に入って当たり前ではあるが、手に入ったものに感謝して己れの分をわきまえて、おとなしくしていれば、今ごろは世界に派遣でもされていたのに、欲をかいてしまった。私に己れが出した牙とツノを見られた以上、もう甘い汁を吸わせない。寄らば大樹の陰と、私に寄りかかることはこの世ではもう出来ない。一人寂しく生きていくしかない。頼りない生徒たちのイヤイヤ出す寄付に頼って、老後を過ごして行かねばならない。自分で選んだ道である。人生とはウソをつかずに誠実に真面目にコツコツと自分のワザを磨いて、感謝を胸に生きる道である。一点の曇りもあってはいけない。