歪んだ人間性

私がアメリカで武道を教えていた時に、ひとりの性格の悪い指導者がいて、ある日、合同で練習したことがあった。どこか田舎の大学出身で、私とはあまり話しが合わない。私は彼の凶暴的で筋肉に頼る技術、ワザの無さを嫌い、彼は私の先にアメリカに来て、経済的にも安定していたことに嫉妬と武道の道場をうまく運営していたことを心良く思っていなかった。練習の時に彼と組んで練習したところ彼の手首を掴むと指で私の目を力の限り、叩いたのである。暗黙の了解で目は実際には打ってはいけないことになっているが、彼は興奮していたせいか、私の目を突いたのであった。私の目からは血が滲み出て猛烈な痛みがあった。幸い、医者には行かなくて良かったが、心の底に競争心が存在すると、こんな時に凶暴な行為となって、ケガをする。この時は事故ではなく、故意の事件であったと思った。日大の事件も同じように、故意の事件で、しかも監督とコーチの指示に従って起きた事件である。私が今追いかけているカネの不祥事を起こした人間は、使途不明金が多額にあって、そのカネを持って返還せずに音信不通となっている。私の謝罪要求にも答えずに沈黙を守っている。民事訴訟の時効を待つ作戦と思われる。刑事事件の訴訟も起こすことは出来ない。寄付という言葉を使ってカネを集めたからだ。明らかに法律のアドバイスを受けてからカネを集めた形跡がある。だから私は裁判を起こせない。このように歪んだ人間性の者達がスポーツをして、武術武道をする。そして指導者になる。危険なことである。その人間性のチェックが出来ないままに指導者になって行く。その心は嫉妬と欲望に満ち溢れ、抑制する手段を持たない。幼い時のトラウマも解決出来ないうちに力とワザは大きくなると共に勝手に付いて歪んだ人間性はそのままになってしまう。そして権力を持つ。歪んだ人間性は歪んだ組織を作り、歪んだ人間性は歪んだ社会を作って、同じような人間性の 人間を作ってしまう。この負の連鎖をどこかで断ち切らねばならない。瞑想が必要である。瞑想によって嫉妬や欲望を抑制する内省を深めて歪んだ人間性を矯正するのである。