強さと人間性

私の武術武道の修行とこの尤氏長寿養生功の習得と教授の中で出会った者達の中に強さを求めるあまり人間性が歪んだ者が結構の数いた。この原因を考察すると、生い立ちがものすごく影響して、他の者を押しのけても、自分がトップになりたい、出世したい、社会の中で認められたいという歪んだ人間性を育んで育った経緯があることを私は知った。ある者はウソをついても、そういう地位を欲しがり、虐げられて育った環境の裏返しで、カネや名誉を求めて私の下に来た者がいた。私も家庭環境は極貧で無知無学の母親に育てられたが、武術武道を習う中に私の歪んだ人間性の発露は無かった。ウソをついてまで、カネや名誉や地位を欲しがったことはない。特に尤氏長寿養生功を教授するようになって、社会的な地位を確立したい、カネを儲けたい、自分の職業を尤氏長寿養生功のチカラで不動のものにしたいと、尤氏長寿養生功密教の即身成仏の現世利益の効果があるのを知ってか、集まって来る者がいることに気づいた。これは私には止められない。あまりに露骨にそんな醜い姿を見せられると人間性を疑ってしまうが、大抵のケースはほっとくことにしている。願わくば、正しいチカラを身につけて、正しく使ってもらいたいと願うしかない。が、他人を騙したり、師匠の私に明らかなウソをつく者は断固として許さない。武術武道を修める者の中には他人のカネやモノやオンナまで欲しがるケダモノのような者がいる。私は何人もそんな恥の無い者をこの五十年に及ぶ武術武道修行の中に見て来た。呆れ果てた人間性である。ある種のチカラを与えられるので、自制心のない者は自分が相当に偉くなったと思うのであろう。井戸の中に住むカエルのように狭い社会で天下を取ったよな気持ちになる。一般社会常識が無くなって、歪んだ人間性を武術武道の人間関係の中で遺憾なく発揮する。問題をいっぱい起こしてひんしゅくを買う。強くなりたいと言う気持ちは心の病いと裏合わせである。私の目指している、尤氏長寿養生功の目的は別なところにある。強さと言っても、他人を押しのける、他人に勝つ強さではない。自分の健康を保つ為の強さである。武術的な修行も相手に勝つ為のものではない。武術を人生の中で楽しむ為の訓練であって、競争するものではない。知性的で理性的な心を磨く手段となる、人生にとても役立つ養生法なのである。私自身は激しい弟子同士の競争の中で勝ち抜いた経験があるだけに、歪んだ人間性を育てる教育をしたくはない。カネやモノやオンナは一過性のすぐに消え去り、無くなってしまうもので、幻のようなモノに心奪われては武術武道の修行は長続きしない。私は尤氏長寿養生功を武術とか武道とは呼んではないが、ワザとその心は世界一であると誇りを持っている。私の知る限り、五十年に及ぶ武術武道修行の中に同じものなど無い。強くならなくとも良い。健康で、長寿になる。それが本当の真の強さである。