奇跡の復活

八時間の大手術とあまりの出血の為の輸血の末、集中治療室を生きて生還した私は術後の経過がすこぶる良く、退院の日に四輪自転車に乗って買い物に行くが、膝裏の手術の傷があまりに痛んで、途中帰宅して家で養生を続けて、退院後三日目の今日、七月六日金曜日の練習に参加した。タクシーの中で目が回り、吐き気を覚えながらも、練習が出来るまで回復した。普段ならば練習後に指導員と共に食事に行くのだが、今日は行けなかった。血圧を測ると最大が百を切り、最小は七十代で低血圧になっている。膝裏の動脈が開通して血流が良くなって、朝夕と血圧を下げる薬を飲むので、血流が良くなった上に降圧剤をキッチリ飲むので血圧が低くなってしまうのである。上が百代下は七十代と、どちらかと言えば低血圧になっている。降圧剤を調節しないと倒れる可能性がある。しかし血流がとても良くなって左脚はポカポカと暖かく、氣が身体の中をよく巡ることで、氣が以前より良く出て指導員がとても良く反応する。吐き気も止まり、膝の痛みや痺れも無い。私の膝は復活した。三年前帰国した私を見た人が今の私を見たならば、「奇跡」と言うに決まってる。それほどに格段な差がある。私自身が一番良く知っている。  帰国するべき時に帰国して、世界戦略を考える時にタヒチに行く。用事が出来て講習会を開くべき時に開き、、運命的な出会いをするべき人に出会う。タヒチに移住する準備として治るべき膝が治って復活する。ここまで来るともうこれは神の意志である。天の意志、宇宙の意志である。あるとても大きなエネルギーが私に働きかけて、私を私が必要な時に私を絶妙なタイミングで助けてくれるのである。サッカーのボールのようにチームメンバーのひとつひとつのボールを蹴るタイミングがぴったり絶妙に合って最後のゴールとなることに似ている。私は今宇宙、神、天、の意志の方向性を感じている。神の意志と私の意志はピッタリ一致して一緒に行動する。私が行く所に神がいる。行動する時に奇跡が起きて当たり前だ。私を留めるものは何もない。道スジはつけられて、悠々と歩くだけである。私のすることは神がそうせよと言っている。こんなことを言えば何と傲慢なヤツ、と言うかもしれないが、私の回りにいる者は良く知っている。全てのことがすでにアレンジされている。私には感謝するしかない。願わくば、ひとつの間違うこと無く前に進むことである。神が与えてくれた私の運気を讃えるしかない。明日もまた最大限の努力を神に捧げることである。私の脳と身体はリラックスして身体の中を心地良い風が吹いているようである。