発明と進化

人類の発展の歴史には道具の発明が不可欠、必要なモノであった。それまでに誰も考えつかなかったアイデアを思いつき、偶然もあったかもしれないが、道具を発明して一緒の共同体の中に住む仲間たちとその道具を共有する。その画期的な発明にさらに改良を加えてより便利で効果的な道具の発明があって、人類は進化して来た。一つの最初の発明を生むまでに何千年、何万年という時間が人類には必要であったに違いない。火や石器などを例えとして挙げられるだろう。一旦発明が共同体の中で共有されれば、そこからの発展発達は加速度的に早くなって人類は進化して行く。東洋では戦争を媒体に、武術のワザが考案されて、非力な者が大きな相手を制することができるようになった。大きな者が小さな非力な者に負かされて、ビックリすることがあったであろう。氣功武術のように触らずに相手を投げ飛ばすまでにはどれほどの長い年月が必要であったろうか?-そして瞑想によって、氣が蓄えられることを発見するまでに氣が遠くなるほどの時間がかかった。中国武術内家拳の勁のワザの発明と気付きが無かったならば、尤氏長寿養生功も生まれてはいなかった。ドクター尤はたった一度、師匠の王向斉老師が見せた空勁に興味を覚え、中国全土の氣功の文献を全て読破研究し、その内容を理解した上で、触らずに相手を制する空勁のワザを確立して「神拳の尤」と言われるまでになって空勁はドクター尤の独壇場となった。武術界においては誰一人知らぬ者はいない存在であった。文革後にアメリカに亡命した後、サンフランシスコの道場には五百名の道場生が集まったと聞いている。残念ながら、私はそこにはいなかったが、ドクター尤に直接教えられた私の先輩にドクター尤の逸話を毎日聞いたものである。私はその逸話を聞くのが大好きで、まるで、私が実際にそこにいたように臨場感のある迫力のある内容であった。それだけ私には尤氏長寿養生功への思い入れがあったのだ。中国の意拳から進化した姿がそこにはあった。意拳が進化した尤氏長寿養生功には人類に寄与貢献する豊富な内容が存在している。