品性

自分の人生を生きている中で、関わる武術の世界にさまざまな人間が出入りする中に哲学を持たない、品性のない者が師匠になる場合がある。私が持っているモノを欲しがり、奪っていった、師匠も実際にはいたのである。かと言って、私が完全無欠で聖人であるとは言わないが、他人のモノに手をつけることなどしたことも考えたこともない。こんな人間としての品性が無い者に翻弄されると何年も時間を無駄に費やし、不毛で、非生産的な会話とカネやモノを失って、貴重な人生の一部分を欠けてしまう。教える技術すら無い、ただたまたまめぐり合わせの悪い先生と生徒の関係を結んだ為に先生ヅラをして権威をカサにして、無理難題を押し付けて私の持つモノに手をつけて奪っていった者がいたのは事実である。そんな者を反面教師にして、今私は師匠の立場になっている。人間として恥ずべき行為はどんな小さなこともしない、品性に欠けることをしないと心に誓い、気を引き締めて尤氏長寿養生功を教えるに恥の無い師になろうと、当たり前の話だが、どんなに苦しくとも他人のモノやカネに手だけはつけることなどは無い。人間性や品性を失うことは師匠失格、人間失格のケダモノとなる。まして、他人の怨みを一身に受けて残りの人生を生きねばならない。悪人犯罪者のレッテルを貼られて平然と生きられるほど、図太い神経を持ち合わせてはいない。人間としての一生を無事に生きるには、良い人間関係を作ることが大切なのである。私の指導員候補も含めた指導員のクラスには私には勿体無いほどの道場生がいる。ユーモアを理解して、練習の後には、爽やかな雰囲気が残って帰宅する。以前若い時に所属していた団体とは月とスッポンのようなもので、太田氣功道場では師と道場生は信頼関係で結ばれている。