訓練の時間

瞑想の時間の第二話に当たる。いつも言及せざるを得ない、あの忌まわしい尤氏意拳改め明光武道の宗家創始総師範の姜吉隆の尤氏長寿養生功を訓練した時間は私の十年来の指導員はもちろんのこと、私の氣功学校の教師にも及ばぬほどの少ない時間である。。私と直接訓練したのはアメリカの私の自宅でのたった一カ月の訓練で、

私の指導員の訓練時間に比べて、ほんの瞬きする、少ない時間である。姜吉隆の到達したレベルと私の指導員のレベルを比較すれば、一目瞭然にすぐ誰にも分かってしまうほどに開きのあるものである。師匠であった、私が言うのだから、真実、本当のことである。私が怒りに任せて言っていることではない。あまりに人間として恥ずべきことを犯して平然としている姜吉隆の自称する、武術的なレベルと瞑想に通じていると自画自賛する、人間性を問題にして、その化けの皮をひん剥いて世にさらけ出さねば、新たな犠牲者が出てしまう。一時期ではあるが、誤って、教えてしまった者の責任として、糾弾せざるを得ないのである。正義の、悪は悪とする主義の問題なのだ。ハナクソのような、いつでも閉めざるを得ないチッポケな武術団体は放って置いても潰れてしまうだろうが、いまだに姜吉隆の口車に乗って、頭が固くて、悪い者がハナクソ指導員の資格を与えられて誇りに思うバカな生徒は月謝を払って、未来の無い訓練を続けている事実があり、不憫に思い、啓蒙の私の思いを表現しているのである。願わくは、一刻も早く、呪縛の不正義のシステムから離れて気づいて、まともな人生を送って欲しい。人生はあまりに短い。無駄にしている時間はない。朱に交われば赤くなると言うことわざ通り、長である者が不正義で、師匠を騙し、道場生をたぶらかして、資格実力の無い武術を立ち上げることに何も知らぬ生徒が参加していては、同じエネルギーを受けて、気づいた時には、すでに手遅れである。私の講習会に参加した姜吉隆の生徒は呪縛にはめられて、指導員のハナクソの肩書きをもらって喜んでいた。ホンモノの勁空勁を見せてやってもこの生徒を説得することは出来なかった。そして、また、金を貸してくれ!と言われていたらしい。ラクダを水飲み場には連れて行けるが、そのラクダが水を飲むとは限らない。実に哀れで、騙されている生徒が可哀想なものである。その歳に合わない突き蹴りで身体を壊さぬようにせいぜい気をつけることである。ここまでが、私に出来る精一杯のことである。オカルト集団の人を殺して死刑になった麻原をいまだに信じる者がいると言うが、犯罪を犯した者を信じる者はいつの日か、同じエネルギーで犯罪を犯すことになるだろう。因果応報の摂理が理解出来ぬらしい。