瞑想と運動

ここまで、瞑想の深い意味を説明して来れば、もうすでに気づいているであろうが、瞑想を続けると脳神経の神経伝達物質が多量に出始めて、さまざまな健康に良い結果が出ることになる。運動すると、同様に内蔵や骨からホルモンが多量に出ることになって、健康になる。ひいては、長寿になる。また、食事にも気をつけてこの病いにこの食事をするというように、良く調べてみると分かるように、最近では、最新の医学と古代の東洋医学の考え方と医術が融合合体して、新しい統合医療の分野が出来て、新しい医療体系が出来ている。医療技術の習得に終わりはない。絶えず学びの毎日である。私もサンフランシスコの鍼灸学校で東洋医学を学び始めた頃と、師母の下で尤氏長寿養生功を習い始めた頃と今では、月とスッポン、雲泥の差がある。習い始めた頃の私が恥ずかしい。瞑想が何たるか?武道を長年やって来たからと言って、道場生のケガすらまともに治すことは出来なかった。今では、見たことすらないタヒチアンを相手に初回のただの一度の治療で、長年痛みのある問題を解決、治療出来るようになった。患者の身体を眺めただけで、問題の患部がどこにあるか分かるようになって、何をすれば、治療となるかが分かるようになった。人間の毎日の修練は、長年の修練後、奇跡的なチカラを我々にもたらす。一朝一夕にはそんなチカラはつけられない。毎日の瞑想と運動が、和紙を一枚ずつ身体と内面の氣のエネルギーに貼っていくようなもので、長年修練した後にいつの間にか、身についているものなのだ。この瞑想と運動を私に携えて、私はタヒチに移住する。瞑想と運動による健康長寿をタヒチを拠点に全世界に届ける。この三十年間の修練と尤氏長寿養生功の教授をして、この道に間違いは無い!と確信を持った。心の無い、即物的な人間に危うく、道場を乗っ取られそうになりながら、やっとの思いで帰国して三年目にして、タヒチとの交流が大成功して、移住する運びとなった。中国生まれのこの氣功は私によって日本を経由して、タヒチに、フランスに、東南アジアへと伝えられることになった。人間が好きになったものを徹底的に深めて、段階を上げて、最高の師匠と出会い、さらなる修練を死にものぐるいで続けると、飛躍的なワザの跳躍を経験することになる。死ぬまでには到底到達することは出来ないであろうと思っていたワザは、今、難無く、チカラも使わずに出来るようになっている。今となっては、感慨深いものがある。あまりの辛さに何度も辞めようと思ったけども、辞めないで良かった。気が狂ったように訓練して、周りからは、おかしくなった、と思われた時もある。一心岩をも穿つ、と言うことわざがあるように、一つのことに集中して修練するといつか花が開く時は来る。また、大本教出口王仁三郎聖師の歌、私の大好きな歌である。

艱難の大なる後は、大輪の大なる花が咲く。出口王仁三郎聖師