一流

人間はどんなことをするにしても、どんな分野においても、一流、超一流になりたいと思っている。私自身が一流であるとは言っていないが、世界で一つしか無い、超一流の氣功武術である尤氏長寿養生功を超一流の師欧陽敏師母に師事して三十年、私が氣の交流をして投げ飛ばして来た人間はその分野において一流、超一流の人が多いのに氣がついた。分野は異なる。テレビタレント、スポーツ選手、武術家武道家、異種格闘家などなど。もう一つ気づいたこと、彼ら一流の人間は氣に超敏感であること、一流になる為にはその分野で、その道では、氣を出すと、氣を放出して、オーラを出すと一流になる。脳が特別な感覚を持って身体を作ると、他の人とは違って、一流の仕事が出来るのだ。脳が繊細になって、

何かに集中する時には一般人、普通の人よりも集中する度合いがものすごく、ハンパではないのである。一流となる由縁である。中には尤氏長寿養生功にチカラがあるのを知って、入門して来る者がいて、そんな者は自分だけが得をして、尤氏長寿養生功には貢献もせずに他の道場生を踏みつけても、自分だけが浮かび上がろうとする利己主義者もいるが、自分だけが氣を余計にもらい、自分だけが強くなりたい、自分だけが有名になりたい、自分だけが成功したいという心が我先で情け無い者は、一流の強い成功者は自分だけではなく、他の人にも強くなって成功して欲しいという仲間を思う心を持つ者であることを知らない。和する心である。心が一流であるから、一流になっている。ワザだけ、身体だけが一流ではない。心身一如と言う言葉を思い出してもらいたい。心が一流なので、一流の場や一流の人間との会話を楽しみ、一流の雰囲気を好むものである。二流、三流の者は心が二、三流であるから、いつまで経っても、何をやっても、二流三流となる。自分が

育った家庭環境で精神が歪み、心がカタワになった者は心がまっすぐな一流にはなれないので、そして自分しか愛せないナルシストの性格で、自分が一流の人間と勘違いする者も現れる。自分の心がカタワであることにも気づかない。一流のワザのみを欲しがり、心には興味がない。師母の道場にはそんな者が多かった。一流になるには、心、内面が一流にならなければ、一流とはならない。心身一如とは言うが、身体が、為すことが、一流となるには心が一流となって、初めて、心身共に一流となる。