猫に小判、豚に真珠

猫は家の回りのネズミや落ちている魚を食べる。豚は残飯を食べる。猫に小判を与えて、豚に真珠を与えてやっても、その使い方を知らない。私の教える尤氏長寿養生功を教えてやっても、拳法の試合で相手に勝つ為の道具としか思えない者にとって、まさに猫に小判、豚に真珠であった。何時も言う人間にとっては、尤氏長寿養生功は此の世で、カネを稼ぐ商売道具であった。商売をするのにわざわざ武術を習わなくても良いと思うが、その狭い武術の世界で有名になりたかった。日本拳法に尤氏長寿養生功の瞑想を足して、明光武道と名前を変えて、ただの日本拳法を教えるだけでは満足出来ない。尤氏意拳もニセモノで、明光武道も日本拳法のニセモノである。では何がホンモノなのだろうか?私にとっては、尤氏長寿養生功は私の人生に大きく影響を与えて、中医としてのチカラを百二十パーセントも百五十パーセントも引き上げてくれた恩人であり、私の此の世で最高の宝物である。その使い方も分からずに感謝すらしない者に教えてしまったことは私の一生の不覚であった。猫がトラを装い、豚の心を誤魔化して瞑想家をまた装う。人間が到達する最高の境地やワザを猫や豚が理解して使い方を会得出来る訳が無い。人間が人生を変革して新しい生き方を模索して、雄々しく生きるようになることはなかなかに出来ることではない。私は尤氏長寿養生功によって、私の人生をより良く向上することが出来た。感謝しても感謝し切れない。何よりも幸せを感じるようになった。何人の人間が幸せを感じて生きているだろうか?勁空勁を使って、カネを儲けたいとか試合で相手に勝とうなどと思ったこともなければ、頭にそんな考えが浮かんだこともない。ただ、師母との訓練があまりにも面白く、私の肉体と精神が微妙に変化して行くのを見て、明日はどうなるのか、明後日はどうなるのか、興味深く、楽しみで、訓練に没頭した三十年で、今思えば、あっと言う間の時間であった。私が誰にでも出来るように開発した初歩の勁空勁のやり方を教えたものを尤氏長寿養生功の秘技と極意を受け継いだとうそぶいて、一派を立てて、尤氏意拳と名前をつけた行為に私はドクター尤老師の顔に泥を塗られた思いがある。日本拳法愛する人にとっても、日本拳法創始者の顔に泥を塗られたと思う人がいるのではないだろうか?尤氏長寿養生功日本拳法も明光武道の宗家創始総師範には猫に小判、豚に真珠であった。日本拳法は戦後、アメリカの進駐軍GHQが日本の武道を禁止したのに対して日本拳法創始者は日本の武道再興の為に創設したものと聞いている。日本拳法創始者や尤氏長寿養生功のドクター尤の精神、心、哲学を理解せずに己れの功名心とカネへの執着心で一杯になった頭では、高度な人間のワザと境地は理解出来ない。猫に小判、豚に真珠、クソにミソである。