我欲に私欲

ものごとを達成する時に何の為にそのものごとをするのか良く良く考えるべきである。カネが欲しくてするのか、売名行為でテレビにでも出て有名になりたくてしたいのか、そんな人間は尤氏長寿養生功を修練する資格はない。例え、修練しても大成することはない。ましてや武術や氣功にそんな我欲と私欲を持ち込むこと自体が、おかしな話である。修練するのが面白くて、好きで、興味が先に立って、長い間に修練する内に、自分に実力と自信が自然とついて、なんとなく、教えることになってしまったというのが、私が教えることになった経緯である。一心不乱にものごとに寝食を忘れるほどに好きになることが人生の中にあったろうか?そのことが自分の職業や生き甲斐となった者は幸せである。好きでも無く、ただ売名と自己顕示欲とカネ目当てでしたことは何処かの時点で破たんする。本当に自分のものにはならない。ウソと虚偽で自分の経歴を作り上げる行為などをすれば、どんな結果が待っているか言うまでもないだろう。目的が不純過ぎる。後に続く道場生にとって、公の大目的に私的なことを見れば、興醒めで、本当の彼らの心は人の為に、人の役に立つことに価値を認めるものである。タヒチに於いて、氣功の氣とワザを駆使して、患者から治療費を一切取らない私をタヒチアンは心の底から信じて、尤氏長寿養生功の価値を認めて理解してくれたのであった。