近道

尤氏長寿養生功を長年修練して今教授をする身になり、習得をすることに近道がないかとさまざまな者がいろいろな方法を考えて修練しているのを横目で見ながら、私は訓練に励んだ。ある者は近道にウソと虚偽を選んだ。ひとつだけ真理があるとすれば、尤氏長寿養生功を学ぶには「近道」は存在しない。もし近道というものがあるとすれば、それは、毎日コツコツと言われたことを繰り返すことしかない。ウソと虚偽で己れを誤魔化せば、誤魔化した分だけ自分の氣とチカラが削がれるだけである。私の同輩に瞑想の機器で脳波を毎日図り、通氣を六ヶ月でもらった者もいたけども、通氣になる時間の競争をしていた修行ではないので、私にはどうでも良いように思われた。少林寺拳法でも最年少で五段になったと豪語していた者もいたが、どれだけ早く免許皆伝をもらったかということが重要なことではない。特に氣功武術に於いては、内容が問題であって、瞑想をどれだけ深く出来るか、どれだけ氣が出るようになったかということがとても重要になる。年若くして師範になったと自称しても見る者が見ればそんなチカラがあるかどうか、一目見れば、分かってしまうのである。人生の経験の少ない若造がどれだけ威張ったところで、言っていること、書いている内容を吟味するとどれほどの実力とチカラと経験があるかは歴然とする。笑われてしまうのがオチである。ウソと虚偽で誤魔化したモノかどうかは自分自身が一番良く知っている。これからもっと歳を重ねて老齢になって、自分自身に本当の自信がないままにごまかし続けることはいつバレてしまうのであろうかと常にオドオドして気が気でない、なんという人生か?と嘆くことになってしまうのだ。尤氏長寿養生功に近道は無く、人生にも近道は無い。近道を得ようとする考えがすでに、大成することに失敗しているのである。

近道は無い!!。