願望と行動

私は初めから尤氏長寿養生功を教授するいわゆる師範になりたくて師母の道場に入門したのではない。何遍も言っているようにその内容があまりにもユニークで珍しく私の興味をそそるものであったので、毎日通って習得したいと思い、練習に汗を流すことが、マラソンランナーズハイのようになって風邪を引いた時も練習後には治っていた次第で、いつの間にか私にはかけがいのないものになって、通氣の後に日本のテレビ局に招待されたことがきっかけとなって、なんとなく教えることになってしまったと言うのが本当のことである。しかし、私がこの世で最も尊敬する武術が尤氏長寿養生功であるので、教えるのならば、私が最高のワザと氣を身につけて教えたいという願望を持つようになった。それがきっかけとなって、世界の各地で初対面の武術家やスポーツ選手と氣の交流をして、私の実力を見極めた後に日本に道場を開いたのであった。道場を開いた直後は、私がテレビに出て名が知られるようになっていたので、まるで昔の道場破りが私の道場に押し寄せて、私のチカラを試してやろうとする無礼な氣の使い手と称する輩は大勢いた。こちらも負けてはドクター尤と師母に申し訳がないと思い、完膚なきまで相手を投げ飛ばしたものであった。いわゆる、ひやかしといった者もいて、ある時などは、本気で対したら大ケガをすると思い、一応、受け身は取れますか?と聞いた後に軽く人差し指で両肩を押したら、相手が空中へと跳び上がって、後ろ向きに頭からコンクリートの床に着地して一瞬ろれつの回らなくなってしまった者がいた。この時ばかりは、さすがの私も顔が引きつり青ざめて冷や汗が額から流れ落ちたのである。この時に何故ドクター尤が初対面の人に勁空勁を試さないのか理解出来たものであった。大変に危険で、死ぬこともあったかもしれない。特に王向斉老師の時代は戦前の殺伐とした時代でもあったので、例え、弟子であっても、練習は真剣で、大ケガをする弟子がたくさん出て、ドクター尤が王向斉老師にもう少し手加減しないと弟子がいなくなってしまうので、氣をつけてください、と進言したと言うのである。養生法としての尤氏長寿養生功が初対面の人に大ケガをさせてしまったら、養生功ではなくなってしまう。それ以来、充分にケガさせないよう気をつけている。受け身を訓練してから勁空勁を試すことにしている。何か願望を現実化しようとするには、行動しなければならない。ただ思うだけでは現実化しない。ましてや、いつも言うようにウソと虚偽でその自分の願望を現実化することなど、もちろん出来ない。血が出るような訓練と初対面者との真剣なやり取りで、自分のワザを試さないと自分のワザを磨くことなど出来ない。自分の身にも危険が伴うこともある。私には後悔は無い。