完璧

尤氏長寿養生功の訓練は完璧を求められる。伝統のワザと言うものはどんな芸術も文化でもそうであろうが、完璧を目指さねば、認められることなどはない。たったひとつの動作に何十年と言う年月をかけて完成を目指す。一般人には気の遠くなるようなことである。何十万回、何百万回も繰り返した後に到達する筋肉が勝手に覚えるように擦り込むような訓練の後に出来る動きがある。見ることが出来ない氣が、身体の中にある氣が、外に出てくるまで、訓練を続けることである。そんなになるまで訓練するとハガネのような肉体と同じように頑丈でしなやかな心も出来上がる。このプロセスを経ない者の言うことは軽く、いくら言葉を上手く使っても、人々の心には響かない。チャラチャラして、経験が少ない分、さまざまな他人を真似するしかないので、真似一色になって、まるで色がごちゃ混ぜになったものになり、全く違ったものになってしまう。出藍の誉れとはならない。一方、師の教え通りに修行を行う者は基礎の部分が大きいので、新しいことを始めても、真似することがないので、別な色にはならない。同じ色愛でも、オリジナルの色より鮮やかになって、出藍の誉れとなるのではないか?これが私の求めて追いかけたものである。そして、今でも求めているものである。完璧と出藍の誉れ、である。