土台

どんな者でも理解しているはずであるが、どんな人間の活動する時には土台の建設、準備が重要なことである。語学はもとより、学業一般、スポーツ、武術武道、社会人になってからの経済的活動も人との付き合い、など、などで、土台を築いて無い者の行動と言い草は大変醜く、見るに耐えない。そして、弱い土台の上に築くものは長く持たずに崩れてしまう。砂つぶの上に家を建てるようなものである。私がいつも糾弾している明光武道尤氏意拳は自称宗家創始総師範である神田吉隆こと姜吉隆の武術氣功尤氏長寿養生功の土台は極めて脆弱なものである。一時期師匠であった私太田光信が言うのであるから、間違ってはいない。私から一カ月、師母に私が面会させた二回、ジャンプの回数は私の家に滞在した一カ月、勁空勁の訓練は私が開発した誰でも出来る初歩中の初歩のワザを一回だけ教えた。たったそれだけの基礎、土台である。しかも勁空勁はテレビに出演するからゼヒ教えてくれと頼み込まれて基礎の足りない者でも出来るような相手を極端にリラックスさせて行うもので、そこから基礎を築いてもっと段階を上げてくれればいいと思い、教えたものであった。一方、私は師母との、大げさに言えば、命をかけた基礎訓練を二十年で七百二十万回のジャンプで土台を作っているので、習ったものから離れても、私の世界を築ける時期に突入している。まさに土台がしっかりしているので、次の段階に上がれるのだ。土台、基礎の無い者はいつまでも、初歩の初歩のワザを死ぬまでするしかない。おそらく生徒に質問されても基礎が充分でないから、質問は中国伝統の意拳の規則では、生徒は質問出来ないルールだから許されない、などの苦しい言い訳でごまかすことになっているに違いない。哀れと言うしかない。