独立独歩

良く私の前に道はない、と言うが、尤氏長寿養生功を学んだ私は日本に移植して日本人独自の解釈で日本に拡めようとしたのではあるが、途中獅子身中の虫のように、邪魔をするようにして私の為す前にさまざまにチカラもないのに本を書いたり、私の唱えていた説を盗むようにして、自分があたかも作ったように先回りして恥の無い行為をされてしまった。それが原因で、日本を離れて世界に進出する理由ではないが、狭い日本でこんな輩とどっちがホンモノである、などと執われること無く、新しくタヒチにて、百ある島に支部を設立する目標を立てて、同時に、フランス経由で世界に拡めようとの気概を持って、二年後にはタヒチに移住する計画である。こんな一本立ち出来ない人間には無理なことであろうが、新しく誰も開拓していない分野で道を歩むことほど大変で困難なことはない。特に武術武道の分野では、腕に覚えのある者が挑戦して来る場合もあるので、余計に負担が多い。こんなくだらぬ人間たちに関わる暇は無い。意拳の名声を聞きつけて、私のマネをする、たちの悪い者も現れた。名声が欲しい、カネも欲しい、実力も無く、師範になりたがる、こんな輩には目もくれずに、次の目標に向かうのだ。私の前には道は無く、独立独歩で進むしかない。我が道を行く、である。この独立独歩で、 Going My Way  と言う生き方、人生は前述の輩には無縁の話ではあるが、いづれ、私が道を歩き終えて、日本に凱旋する時には、私の身体に住み着いていた虫は殺虫剤にでもやられて、死滅しているだろう。人生を自分の脚で歩けない者は道などは無く、あっても道半ばで終わり、開拓されていないいばらの道を歩む者の脚は老齢になってますます強くなる。