教育 Education

 教育を英語では、 Education  と言う。 Education  とは、 Educe  の名詞で、その意味は引き出して伸ばす、と言う意味である。武術においての修行の意味合いは修行する者のその武術における才能を伸ばすことにあると思うのであるが、それにはある条件下においてのみ成立する。尤氏長寿養生功の師母は道場生の誰にでも本格的に教えることは無かった。ある一定の基準を超えた者にその基準以上の訓練である站椿功を教えてジャンプの回数を増やし、勁を打つチカラの量を増やすのであった。英語で言うところの Education  を実践していたのであった。その武術の教育は弟子、道場生、生徒の体力、精神、本気度、素直さ、などの資質を師が見極めてから、本格的な修行が始まるのである。尤氏長寿養生功は長い伝統のワザを伝える百年前の武術家の師母が最後の伝承の方であるので、百年前の伝承の方法で伝えられたのである。その雰囲気を悟った私は、本格的に習うには毎日通い、師母に認められるしか習う方法は無いと思い、身の周りを整理して、過酷な訓練に耐えたのであった。汗は、五枚のシャツを絞って濡れ雑巾のように絞れるほどに濡らし、洗濯は毎日、一人では時間がないので、クリーニング店に持って行き洗って乾燥して畳んでもらう。食事は練習後に師母と中華料理の飲茶ヤムチャであった。修行だけに専念した。今、指導員と道場生を抱えて、基本的には、私が習った時のように同じ方法で指導している。私独自の世界を築いて、道場生の能力を早く引き出すことを目標としているので、多少は変化していると思うが、以前教えた者の人格と性格を吟味せずに教えて、カネの不祥事を起こして道場ののっとりも企てたので、今はジックリと観察してから上級のワザと訓練を教えるようになっている。尤氏意拳と言いながら実力もない者が別派を立てている状況ではあるが、初歩中の初歩しか教えていなかったから、それ以上の訓練とワザなどは教えることなど出来ることはない。以前、尤氏意拳の生徒が講習会に来た事はあったが、私の今いる指導員が教えられた型などと同じようにでたらめのとんでもない、自分で勝手に作ったものであった。それでは、伝統を受け継いではいないだろう。生徒の能力を伸ばすことなど出来る訳もない。私が私なりに解釈した尤氏長寿養生功のエッセンスは氣の交流をした道場生の人生を変えるほどの潜在能力が開発されるチカラが尤氏長寿養生功には存在することであった。その意味で、尤氏長寿養生功にはホンモノの、本当の教育があった。