観て、聴いて、訓練する

師母は良く、何回も、観ろ、聴け、訓練しろ、と言っていたのであった。最晩年になって、尤氏長寿養生功のワザの伝承を毎日考えていたと思われる。私が適任者であったかどうかは知らないが、そのような状況にあって、道場内では、熾烈な競争が日常茶飯事ではあった。特に中国人の道場生は何か特別な秘術があって、それを師母が教えてくれると思っていたらしい。私はそんなものは無く、毎日、飽きもせずに師母との一対一のジャンプと毎回の站椿と瞑想を続ける連続した師母との氣の繋がりこそが師母が唯一残してくれる、いわゆる「秘術」であると思っていたので、競争などする考えも無かった。私が毎日通い続けているだけで、すでに道場内では、私が筆頭の地位についていたのを知っていたからである。毎日、観て、聴いて、練習していれば、その繰り返しの蓄積があり、その蓄積されたエネルギーそのものが後の自分が作ることのできる秘術となるのを他の道場生は気付いてはいなかった。私にはその修練の多大な蓄積があるので、現在の私が私の解釈した尤氏長寿養生功の新しい世界を開拓しても本来の尤氏長寿養生功から遠く離れたものにならずに核の中心は残して太田氣功道場として尤氏長寿養生功を教えることができるのである。勁空勁の本質を失うこと無く、伝承を続けて行けるのである。尤氏意拳という道に外れたものにはならないのである。