目的

何かを習い習得してその道を極めようとする時には目的があるはずである。尤氏長寿養生功を学びに来る者も必ず目的がある。ドクター尤老師の尤氏長寿養生功の創立の目的はその名の通り、万人の健康長寿である。一人の武術家を試合に優勝させたり、一人の野心家を世間で有名にしたりする目的ではないのは明白なことである。この消えかけていた尤氏長寿養生功をもう一度世の中に認めさせようと私がマスコミに出て有名人を投げ飛ばして触らずコントロールしたのは私の自己顕示欲を満足させようとの目的ではない。ただ、中国の武術文化がこれほどに威力があって、志し半ばで亡くなられたドクター尤老師の偉大さを理解して欲しいと言う、義憤とでも言おうか、私の尤氏長寿養生功への愛情から、そして私が考えもしなかった芸能人に勁空勁をかけて欲しいとのテレビ局からの要請に私が挑戦してみようとの決断が、テレビに出演した理由である。三十年前からテレビに出てきたので、それを見た者がマスコミに取り上げられて有名になりたいとの自己顕示欲が目的の、尤氏長寿養生功を手段にしてカネを稼ごうとの金銭欲が目的の入会者には充分気をつけてはいるのだが、網の目をすり抜けて、野心を果たそうとする者もいる。尤氏長寿養生功は武術の芸術文化である以上、その芸術を呆れるほどの金銭欲と唾棄すべき気持ちの悪い自己顕示欲で汚しては欲しく無い。カネならカネ貸しの弟子になり、自己顕示欲目的なら芸能人のオフィスにでも入ることである。尤氏長寿養生功はあくまでも中国の武術氣功であって、現在私の手によって、日本の文化芸術の分野にその特異な地位を築いて日本の氣功という一分野に移植しようとする誇りあるものである。上昇志向の人間の金銭欲と自己顕示欲を満足させる手段にはさせない。