師母外伝❷

師母を想う時にプッと吹き出してしまうほど師母は、お茶目なところのある師匠であった。師母が脚を手術した後に百歳を超えても我々に訓練をつけていたのだが、ある日、白人アメリカンがオートバイで練習に来ていたので、師母にオートバイで行きましょう、と言ったら、OK! と言って、白人アメリカンの背中に掴まってさっさと中華料理店に行ってしまった。私はそれを見て、日本人なら絶対にしない事だなぁ、と感慨深く見ていたのであった。百歳を超えてオートバイに乗ったのは師母ぐらいであろう。さすが!また師母は道場としているガレージの二階に住んでいたのであるが、脚を手術された後に階段を自力で降りられなくなっていた。ある日、私が師母を背負って階段を降りることになって、重い師母を背おい、階段を降りたらそこに大きな鏡があって、鏡を見たら、写っている姿は何処かで見たことがあるなあ、と思ったら、スターウオーズのヨダだった。私にとっては、唯一無二の武術の師匠であった。個性豊かな師匠で、毎日、雨の日も風の吹く日も練習に通う師母の嫌いな、日本人、である私を特別に可愛いがってくれたのである。今考えると、最晩年に出会った弟子が膝を壊すほどに狂ったように訓練している私に持っているワザの全てを伝えたかった、と思われる。その後私は世界各地で師母から受け継いだ氣を武術家やスポーツ選手に試して、勁空勁をかけることが出来たのである。少林寺拳法を続けていたら、少林寺拳法は中国拳法が源流と言いながら、私の生きている間にはそんなことは絶対に出来ることでは無かっただろう。私は三十年間毎日学んだ氣功武術、尤氏長寿養生功に絶大な誇りを持っている。