肩書きと実力

私のブログ記事を読み続けている方はすでに理解されているであろう。師範、総大将と自分を呼ぶ者たちには大げさな肩書きが必要である。何故ならば、実力が伴っていないので、バックアップしてくれる、自分に都合の良い言葉で飾る肩書きが不可欠になる。そうでなければ、生徒を集めることは出来ない。私は自分のことを師範とか総大将とかこの三十年の間に呼んだことも無く、「師範師」になって誤魔化して道場生を集めたことも無い。私を師範、と呼ぶまでに師母とドクター尤老師のレベルにならねばならないという気持ちで今でも、修行は続けているのだ。「師範師」には実力が無い。あるのはニセの肩書きで、何かどこか胡散臭い。宗家創始総師範と総大将、現代にはほど遠い聞きなれない言葉を使って目くらましの肩書きで、そのエサに引っかかる生徒を引っ張り上げねばならない。師範師にはホンモノの師範と思わせてしまう、うまい肩書きが必要である。実力など関係ない、そんなものは屁のカッパだ。私は肩書きよりも実力を重視して1987年から2007年までの間師母と毎日訓練した。その結果、今の自分がある。私の肩書きは宝寿会尤氏長寿養生功太田氣功道場主宰と言うものである。師範総大将とは呼んではない。私は「師範師」ではない。