コンプレックス

私は心理学の勉強もしたことがあって、度を越した自己顕示欲の背景には一般的に自分のコンプレックスが関係している。例えば、私のケースを話せば、以前にブログにも書いたのであるが、私の幼少期、幼稚園くらいの時に執拗に実の母親から陰険な折檻を毎日のように受けていた。酒ばかり飲んで、仕事もせずに釣りにばかり行く父親を恨んで、その怒りを家族の中で一番小さく弱い立場の私をイジメて、自分の精神のバランスを取っていたのであった。今で言う、虐待である。その虐待は陰湿で、小学校も出ているかいないぐらいの無教育な母親は父親が可愛いがる私をイジメて父親への恨みをはらしていたのであった。火のついたお線香を私の身体に押し付けて恐怖におののく私を見つめて、自分の優位性を確信するのであった。もちろん父親には言えるはずもなく、隠れて、躾けの為と称して必要も無い虐待を毎日のように続けていた。私が女性に対して不信感を持ったことは言うまでもない。強い自己顕示欲が出ても可笑しくないが、別に自己顕示欲などは私には無縁であった。しかし、私が長じても、女性に対しては付き合うことの出来ない、付き合い方も理解出来ないほど、女性に対して不信感があった。コンプレックスである。強い自己顕示欲は大抵の場合は生い立ちの、その者にとって、不幸で悪い環境から来るコンプレックスの裏返しであろう。私が堺に氣功の道場を開いた時には、有名になりたいアンバランスな精神を持つ者たちがたくさん集まった。アメリカの師母の道場にも女優であると自称する精神のおかしなオンナが在籍していた。非常に自意識過剰な身勝手な女性であった。一度首が痛いと言っていたので、私が痛みを取ってやったことがあったが、その後、毎回、会うたびにあそこが痛い、ここが痛いから治せ、と言って、まるで私が使用人であるかのような口振りで私を扱い始めたので、道場には私の他にも中医がいたので他の医師に頼め、と言ったら、みんなの前で泣き始めた。自分が女優で明日撮影がある、と言って、同情を強要する。何様のつもりだ!と私は怒っていたことがあった。このように目立ちたがり屋が氣功道場には集まる。自己顕示欲の師範師たちは自分の生い立ちの環境を瞑想でもう一度じっくりと見直して、なぜに師範師になっても、自己顕示欲を満たして人生を送りたいのか考えた方が良い。私は瞑想によって、母親の虐待による私の女性に対するコンプレックスを克服して、女性に対して自分の気持ちを素直に表現して不信感を持つことも無くなり、感情的になることも無くなった。