人には厳しく自分に甘く

いつも糾弾しているキッパリ道場と尤氏意拳の総大将と総師範は私が知る限りにおいては、私への態度は感心せぬほどに厳しく、そして甘えて自分の欲しがるものをゴリ押ししても欲しがって、自分に対しては比較にならないほどに甘かった。よくまあ、二人とも、これほど共通点があるもので、道場開設の時も太田氣功道場の迷惑もまったく考えずに自分たちの想いを遂げる利己的な 人間性ではあった。。一度尤氏意拳の生徒が講習会に参加して私に言うには、カネの供出をせがまれて、前回のカネを返済もせぬ内にまた多額の借金を頼んで来たと言う。この総師範の人生哲学が解るというものである。一方の総大将は私には誠意を見せろ!と詰め寄って、今、キッパリ道場を誠意も無しに開いている。私は言いたい、お前の誠意は無いではないか?と、又総師範は口を開けば、いつも男は、男は、と言って、男でない者が自分は男だ、と言いたかったらしい。他方の総大将はモデルになった話が唯一の自慢で、背が高いことに優位性を見いだして教員免許を持つことが理性と心を持つ証としていたが、回りの道場生や指導員も驚くほどとても感情的であった。両者共に見栄え良く、外面は良いが、裏側に回って見れば、醜悪な心の持ち主であったのだ。勇気も無いのに勇気を説いて、男で無いのに男と言う。理性ある者は生徒になる前に、良く何回も考えて自分の心の直感を信じてこのような心の持ち主の道場には通わないでもらいたい。何を学ぶかと言うことが大事である。尤氏長寿養生功を学ぶのか、尤氏長寿養生功を学んだ彼ら二人の解釈を学ぶのであるのか、良く考えよ。入会すれば、太田氣功道場が利用されたように入会者が同様に利用されてしまうのが関の山である。ご注意を!