希望と再生

人生に行き詰まった者が尤氏長寿養生功を訓練して、人生に希望を持って、自分の人生を再生した者は日本で最初に氣功道場を開いてから、大分経つが、人生に希望と再生を見いだした者はかなりの数いる。実は私もそうであった。私は当時、今ほど幸せではなかった。一度目の結婚が失敗して、また、一人になって、中医の資格を取って、次の人生を歩んでいた時に運命の師母との出会いがあったのである。私が夢中で追いかけた武術に失望もして、離婚して子どもにも会うことも無くなった私はこの武術の究極の姿を見て、感銘を受けてからは、何遍も言ったけども、家財道具を全て売ってお金を作り、長い修行に備えたのであった。希望はひょっとして、私にも勁空勁がいつの日か出来るようになるかも知れないということに加えて、私の人生をこの尤氏長寿養生功を修練することによって、再生出来るかも知れないという直感があったのだ。果たして、瞑想は私の日課となって、瞑想の時間は至福のひと時となっていた。と思うと、今度は私の人生が少しずつ良い方向へと軌道が変わっていったのであった。漠然とした直感が、確信となって、毎日が楽しく、嬉しい、幸せなものになっていった。カネやモノが無くとも、心にゆとりが出来て、勇気と自信が腹の底から湧いてくるのであった。運気も良くなって、テレビ局の番組に招待されることになり、一旦テレビ出演すると連鎖反応的にテレビ各局から話しが舞い込んで、日本の大阪に道場を開くこととなった。それ以来、何年が経つだろう。1994年の頃のことだから二十五年経っていることになるか、私は今現在、もっと幸せになっている。とにかく、毎日を笑って、毎日が嬉しくて、楽しいのである。何を見ても、何をしても、何を食べても美味しく、幸せに感じる。人生を謳歌しているのである。こんなことは、誰にでも起きることではないだろう。しかし、現実に私には起きているのだ。尤氏長寿養生功を訓練していなければ、私は幸せにはなっていなかっただろう。師母とドクター尤老師が一流の上の超一流であったので、私も一流の端くれにでもなりたくて、辛い修行にも耐えることが出来たのであった。超一流の師に習っても、二流三流の亜流に終わる者がいる。人物と心が二流三流の者だから、ニセモノ、亜流にしかなれない。せっかくの今までの修行時間は無駄に終わる。希望と再生と未来は、心があって、一流になろうとする、たゆまぬ努力する者に訪れるのである。