天職

我々は天職を探して人生を送っているのではないだろうか?今の自分の仕事をいやいやながら、しているのではないか?私は今現在、天職についているので、毎日を幸せに過ごしているに違いない。尤氏長寿養生功と出会いがあって、過酷な修練を断行している時にはこの氣功を職業として教えようと思ったことは一度もない。通氣をもらって、世界を回り、私のチカラを試していた時でさえも教えようとは思わず、師母との訓練が面白くてこのままずっと毎日訓練したいと思っていた。太田氣功道場から離反した者たちが今、道場を開いて、それを天職と思っているだろうか?天職を見つけた者は毎日が幸せである。幸せでないから太田氣功道場に通っていたのに、私から糾弾されて罵倒される。実力のない武術、チカラのない瞑想、をそれぞれ教えて、時折私から習ったワザや言葉を思い出しては生徒に小分けにして教える。 全部教えては教えることが無くなるのでそうするしかない。師範で無くなってしまう。こんなことは天職とは呼べない。天職は他人の為になり、人が喜ぶことに意義を感じて自分の思い通りの人生をウソと虚偽なく送ることではないか?途中、カネと自己宣伝の為に道場を利用して立ち上げた道場運営を天職とは言えない。目立ちたいと思う心は天職は訪れない。そして今でも幸せではないはずだ。私が教えてみようと思ったのは、師母の言葉であった。お前が日本で教える時には師母から学んだと言え!たくさんの道場生を持て!と言われた。また、私は通氣の前から通氣の先輩をすでに勁空勁で投げていたので、自信はあったのである。周りの先輩道場生が嫉妬するほど師母と私の師弟関係はずっと前から良好で、密であった。私は私の訓練でこの氣功への忠節度を示そうとしたのだ。それほど、日本人は嫌われ、信用されてはいなかった。昔、一人の軍人の日本人が意拳の道場に来て、少しだけ学んで日本に帰った者の話も聞いていたようであった。軍人であったので、気を使って、基本だけ最低限のものだけ学ばせて帰らせたと言うことであった。私がこの尤氏長寿養生功を教え始めて早くも、四分の一世紀が経過した。初めは大阪で、今は東京で、この氣功を教授しているのであるが、大阪の時よりもっと深く、もっと密に教えてもっと私は幸せになって、毎日を笑って過ごしている。尤氏長寿養生功を日本と世界に拡めることは私の天職となっている。