独学

私の勁空勁は独学である、と言って良い。師母は道場生、特に私には何も教え無かった。何も言わない。勁空勁は秘技中の秘技で、特にそれに関しては勝手に出来るようになれ、という態度であった。私が通氣を受ける前から通氣の先輩を勁空勁で投げ飛ばした時には、私が投げた先輩を大声で叱っていたので、あまり師母の前では私の勁空勁を見せなくなった。私のチカラを隠したのである。それでも、興味本位で私に挑戦する者はたくさんいて、私も黙っているタイプでは無いから、丁度良い腕試しと思って、師母が見ていても、挑戦を受けた時には相手を投げ飛ばしていたのであった。海外に行って、武者修行と言って、盛んに勁空勁を試して自分のチカラとワザを磨いたのである。だから、私の勁空勁にはお金がかかっている。全て独学ではあるが、師母の勁空勁を見て真似して覚えていった。いつも糾弾する尤氏意拳のオトコには手を取り足をとって勁空勁を教えてはしまったが、私に比べれば、逆説的な言い方になるが、私が教えれば、それは邪魔になって、私のようにはワザが伸びること無く、自由な発想は出来ないはずである。失敗の連続から学ぶことは多い。それに私は日本人以外に勁空勁を使った経験が豊富で、私の経験値を持つ者は誰もいないだろう。独学は武術において、経験を積む良い修練の機会と手段となる。オンブにダッコに慣れた者は良い武術家にはなれない。勁空勁だけに焦点を当てて、チョット習った勁空勁を秘技を習ったと勘違いするアホなオトコには独学の妙味は理解出来ない。