生い立ち

生い立ちの環境に負けて、事件を起こす者は多い。私の生い立ちも貧困無学の母親に育てられて、母親は父親への恨みを家族で一番小さな私に今風に言えば、虐待をされて、私は育ったのである。家族の劣悪な状況を私は毎日眺めて、一日も早く、故郷を離れて東京の大学に通うことを夢見て、小学、中学、高校とあまり好きでもない学業に専念して成績を学校の上位にいつもつけるようにして、東京行きの公然の理由としたかったのであった。病気がちの私は運動を医者から禁じられていたので、大学に入ったら身体を鍛える意味で、武道を必ずしようと思っていた。入学後、少林寺拳法を毎日練習して、道着を着て冬も夏もそれで過ごした。幸い、寮がキャンパス内にあったので、都合が良かった。アメリカのバークレー大学の少林寺拳法支部長になる話が出て、私に白羽の矢が立って、アメリカに行くことになる。貧困の家庭に生まれた私はアメリカでも、苦労の連続であったが、武道に私の生き甲斐を感じていたので生きる上で、人に迷惑をかけることなどはしなかった。生い立ちの環境に負けた者が二人私の道場から離反して道場を開いている状況を見る時にはおそらくは、私の生い立ちに比べれば、ずっとましな家庭環境にあったと思うのだが、家庭環境に負けて太田氣功道場を欺き、ウソをつくのはどういうことなのか?大学在学中に入学金を友人の父親に借りたお金を返す為に卵一個を三日間の食事にしたこともあった。当然、授業料を払えない私は中退となった。とにかく私はウソと虚偽で人生を送るなどはしなかった。考えたことも無い。生い立ちの反動で有名になりたい、目立ちたいという心理は理解出来るが、ウソと虚偽でそんなことをすることとは別問題である。生い立ちの反動で目立ちたいなら、自分のチカラで、ルールを守って目立ったら、誰にも文句は言われないだろう。