類は友を呼ぶ

上記のことわざは実際に起こることである。尤氏意拳の神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆はお友達の山地 花緒里にニセモノ道場のエネルギーを与えて、山地 花緒里は今、ニセモノ瞑想教授をしている。ニセモノはニセモノを呼び込んで、心の中身は同じであるから、同様な愚行を重ねる。まさに類は友を呼ぶ、である。何が、ホンモノを学んでおきながら、わざわざニセモノになる必要があるのか?ニセモノの心の発露であろう。心が磨かれていないので、自分の心に従った行動をする。ある意味素直ではある。一回の行動を見れば、どんな心で、どんな人物であるか、いっぺんで分かる。一回裏切る者は、その行動パターンを繰り返す。心は正直である。見かけと言葉は信用出来ない。言葉の使い方を熟知した者は土壇場の場面であっても、その場をつくろう言葉を考えて、口にするだろう。騙されてはいけない。利用されるのはもう充分である。自分に瞑想や武術を教える資質があるかどうか、自分の胸に聞いてみるべきだろう。特に教育免許があると言うならば、裏切り教員は教員と言えるのだろうか?資質が問われる問題である。