外見と中身

外見と中身の差が大きい職業の者と言えば、何といっても政治家だろう。外見と口のうまさ、言葉の使い方には感心するほどで、後で騙されたことに気づくが、あとの祭りで、悔しい思いをするだろう。同じような想いを尤氏長寿養生功を教えている間に二回も経験してしまった。今から思えば、両名は慇懃無礼で、中身がカラッポなのに、言葉や外見は政治家顔負けの立派なものだった。二人共に武術と瞑想をそれぞれ教えているのであるが、ホームページに掲載する言葉や写真は、花のように美しく、ソツがない。でも中身はない。修行が足りないからだ。どちらも修行半ばで私に破門されて、辞める時の態度は驚くほどに悪く、さっさと後足で砂をかけるように逃げていった。外見は中身を露わさない。私は外見はともかく、尤氏長寿養生功を学ぶことに重きを置いて、中身の氣を作ることに専念した。外見の良い者が中身の無いことに気づいて、中身を欲しがる時には見苦しく、大騒ぎして周りの人に迷惑かけて、私にすがりつき、チョット手に入れば、スタコラさっさと辞めていく。そして、自分の底の浅い道場を開いて立派に月謝を取って教え始めるのである。早く道場を開きたい者や口の上手い者、外見をとりつくろう者たちは中身と外見が一致しない。そして批判されるのを極端に嫌う。傷口をなめてもらうような褒め言葉を欲しがる。心の歪みと外見と中身の差は比例するようである。