情けをかける時には危険なこともある。情けを利用して、自分の我欲を達成する為にそのかけた情けを踏み台にして自分だけがのし上がろうとする者がいる。ふた通りの人間がいるだろうか?情けを恩に感じて、その恩に報いて感謝を伝えて成功する者が一つで、情けを当然なものにして、恩とは思わない。逆に何か志しの無い事を達成しようとする者の二通りの人間がいるだろうか?私が出会いのあった二人の情を失った者たちは明らかに私の情を利用して、尤氏長寿養生功の武術と瞑想を盗み取るような行為をして、今、それぞれ、自分の道場を開いているのである。恥も外聞も無い。今の時代に情けなどと、古臭い!と言われるだろうか?そんなことはない!どの時代であろうが、人間が情けをかけられて、どうでも良い、迷惑だ、とか思う者はいるだろうか?今の時代でも、人間、特に日本人には基本的な社会生活を送る上には必要で、社会生活の潤滑油となる重要なものである。その情に対して唾を吐くような態度で作った道場には同じエネルギーを持つ者たちが集まり、この両者のニセ師範は他人の情が一番必要な時に情けはもうかけてはもらえないだろう。人生を送るあいだには人間の暖かい感情に何の反応も無く、損得勘定で生きる者もいるだろう。損得のバランスで自分に都合良いことだけを求める者は意外に成功はしないものと相場は決まっている。古臭い情で生きる者は他者から、自分が一番困っている時に救いの手を差し伸べられることは良くあるものである。結果的に上手くことを進めることができる。