神性と獣性

人間の心には神性と獣性が宿っている。ある時には他人が驚くほどに立派な行為をして、またある時には、イヌが後足で砂をかけるようにして、他人に多大の迷惑をかけて逃げるように、我々の道場を抜け出して勝手に自分の道場を開いてしまう。卑劣で卑怯な行為と言える。これは神性の行為とは言えないだろう。獣性の気質が表面に出たものである。神性を選ぶも獣性を選び行動するも心、資質の問題である。どんな生い立ちや家庭環境に生まれようが、成人して社会人になれば、神性と獣性の区別は出来るはずである。それなのに獣性の行動を取るのは心、生まれながらの資質によるものであろう。資質と心が獣性ということになる。キッパリ道場の総大将と尤氏意拳の総師範は心、資質が獣性で、欲しいものはケダモノのように暴れ回って奪って行くのだろう。所属していた団体や世話になった仲間を裏切るなどの行為を反省することも無く、今日明日のエサをガツガツと貪り食べていることと思われる。もはや人間とは言われない。