譲れないもの

人生を送る上で、誰でも、決して譲れないものは出てくるだろう。私にとっては尤氏長寿養生功がそれである。この譲れないものをまるで、商売道具のように扱い、安っぽい技術のようにして自分のハナクソ武術とハナクソ瞑想に利用して平然と自分があたかも創案したようにうそついて、尤氏長寿養生功を愚弄するかの如くに地に貶めたキッパリ道場総大将と尤氏意拳総師範に対して私には譲れるものは何もない。何が尤氏意拳と自称するものがあるか、何がキッパリ道場の瞑想とするものが存在するか?内容はハナクソで、猿マネ以外の何ものでも無い。教えていることは勝手に解釈した自分のやりたいことを内容にして、尤氏長寿養生功の内容はカケラもない。自分を師範とか大将と言いたいだけの自己顕示欲のかたまりの発現である。他人の譲れないものを利用して自分が不正に師匠となりたい。この醜悪な心と行為で開いた道場をこの両名は自分の譲れないもの、と言うのであろうか?