仕事、職業を持つということは、仕事を通じて神との対話をするということである。私が尤氏長寿養生功と出会ったのは1987年のことであった。何の説明も受けずに、ただ立て!と言われて一時間立った後には身体はどこもかしこも痛みと緊張でガチガチになって思わずバッタリ仰向けに崩れて天井を見上げて寝てしまったことを今でもハッキリと覚えている。それから三十年経った今、私はあれほどチンプンカンプンであった尤氏長寿養生功を教授する太田氣功道場の主宰となっている。何も分からずに師母からいつもプーハオ不好、と言われていた私が日本であれだけ難しい、と思っていた、尤氏長寿養生功の特徴である勁空勁のワザを教えていることに不思議な感覚に囚われて感慨を覚えるのである。毎日、サンフランシスコに住んでいる師母に会いに行くのに最適な場所に私が住んでいたことも何かの縁で、采配であったと思われる。全ての条件が満たされて、お前はこの世にも珍しい氣功を学ぶことができる者である、と言われているように思われた。数年経って、瞑想と尤氏長寿養生功が私の生き甲斐になっていたのである。私の武術武道の修行の最終段階の集大成と思って、今、この名誉にも、与えられた仕事である尤氏長寿養生功の教授に大きな自信と誇りを感じて、この仕事を愛しているのである。まだ、以前持っていた何百名の数の道場生は集まってはいないが、今いる道場生の指導員と練習する時間を大いに楽しんでいる。至福の時間である。私の脳内では、セロトニンドーパミンである脳内ホルモンが大量に出ているに違いない。楽しくて、大いに笑って嬉しく幸せを感じている。この共有する時間を指導員とお互いに幸せに感じているのである。この喜びをタヒチにも、フランスでも、分かち合う人との交流を深めて道場生を募る。その喜びと幸せが私をこの歳になって、タヒチへと移住させる原動力となっている。これは愛の伝導である。神との対話であり、愛は人間の持つエネルギーの中で、一番強いものである。愛は邪悪な心を打ち破る。この愛を持って、タヒチへとフランスへと、ヨーロッパへと全世界に向かって歩んで行く。