カネと自己顕示欲

私が尤氏長寿養生功を愛して止まない心で日本にて道場を開いて教授している時に生い立ちの反動で、自分の自己顕示欲と社会に認められて経済的にチカラを持とうとする者たちに瞑想と勁空勁を教えてしまい、盗むように自分の道場を開いている二名の離反者には、師母と同様に私には激しい怒りがある。なぜと言えば、二十年の間に私は七百二十万回のジャンプ震脚を経て、通氣となった後に今の私があるからである。尤氏長寿養生功は私の生き甲斐、私の人生と言えよう。それをまるで、安い単なるテクニックやモノのように盗みとり、簡単に考えて、カネと自己顕示欲の為に不正な手段で道場を開いて教える安っぽい心が許せない。私の愛の心を汚されてしまった感覚である。愛をカネと自己顕示欲で裏切られた想いである。しかし、生い立ちに負けた心の我欲、有名になってカネを儲けるという邪悪な心は最終的に愛の心には破られる。そして、私には七百二十万回の震脚と四万四千四百時間の瞑想の蓄積があって、それが私の絶対の自信と誇りである。彼らがどんなに逆立ちしようと、口で自分を飾って、写真を掲載して何も知らない者を騙しても、私には追いつけない。私の足下にも及ばぬ者がシャカリキになろうとも、一芸に秀でることは今生ではありえない。他国で私のように、チカラが認められてその国に招待されることもないだろう。なにせチカラがない。チカラが無ければ、武術も瞑想にもチカラが無い。せいぜい私のマネで終わってしまうだろう。芸技、特に瞑想や勁空勁のようなワザは芸術でもあるから、学ぶ対象となるものを愛すること無くば、カネや自己顕示欲が目的では、習い切れるものではない。いづれ破綻する。それに比べて、私は今でもワザが進化を遂げている。タヒチへと移住しても私の尤氏長寿養生功への愛は褪せることはないので、さらに、進化し続けるだろう。タヒチのきれいな海岸でユックリ瞑想して、私のチカラを養い、進化発展させる。私は師母と約束をしたのである。尤氏長寿養生功を教えて、たくさんの道場生を持つ、と。