誰にも負けない特技

仕事というものについて話をしているのであるが、自分が修行中途で中途半端な技術を以って職業とする場合は必ず問題が起きる。このことをさせたら、自分は誰にも負けない、という自信の持てるところまで、自分の技術を磨かねばならないだろう。少なくとも、師匠がそのチカラを認める必要がある。武術芸術とは、そのようにして継承されるものである。修行中途で、自分を師範になったと言って道場を開く者など、何処にもいない。アメリカの白人にはそんな不遜な者は良くいたものであるが、日本人にもそんな恥の無い輩がいるのを知って、驚愕している。武術のワザや瞑想などのような一生をかけて学ぶことを修行中途で自分を師範と呼んで、道場を開くことに疑問と恥を感じない日本人はもはや、日本人ではない。呆れてしまう行為である、と私には思われる。私はいつからいつまで、と期限を決められて修行した訳ではない。師母の命にも限りがあると思われる中で自分の持つ全力を練習訓練にぶつけていつになったら修行が終わるのだろうか?と焦る気持ちもあったが、今師母が他界して振り返ってみるともっと修行を続けていたかったと思うのである。修行に終わりは無く、私が死ぬ日の前日まで修行を続けることが修行というものなのであろう。そんな妥協の無い修行で、私には、誰にも負けない特技がある。という自信で、私の仕事である尤氏長寿養生功の教授をしている。仕事とはそうありたいものである。そして私は世界一幸せな者と思っている。