瞑想の種類

中国で行なわれている氣功は中国人の数ほどある、と言われているのであるが、尤氏長寿養生功チベット密教の瞑想のテクニックを取り入れて意拳の武術と融合した形を取って、三種類の瞑想がある。一つがあの有名な站椿功と呼ばれる立禅である。二つ目が站椿功の後に椅子に座って行なう座禅である。もうひとつある。あまり馴染みは無いだろうが、仰向けに寝て行なう臥禅である。何も三種類の瞑想全部を行なう必要は無い。私が通氣をもらうまで站椿と座禅を行なって、修行の内容として、氣の蓄積をしたのであった。勁空勁の基礎は充分な瞑想で培った氣である。この基本が少なければ、充分に効果のある勁空勁は出来ない。瞑想の時間が足りずに師範を自称する者は当然、ホンモノの勁空勁が出来ずに関係の無い格闘技、日本拳法を教えてお茶を濁している。瞑想を教える者も瞑想時間が足りないので、当然ホンモノの本格的な深い、神秘体験をする瞑想は教えられない。修行時間が圧倒的に少ないから、その後の武術のワザである勁空勁の進化発展は期待すべきも無いし、瞑想も自分の経験と体験が無いから、生徒が神秘体験をするような瞑想をした時にこの神秘体験はどういうことなのですか?と質問されても答えようも無く、精神がおかしくなった生徒を正常に戻すことも出来ない。氣の狂い始めた生徒を放って置けば、症状は悪くなって、ついには、本当に氣が狂うことも出て来る。簡単に教えられる、と思い、修行半ばで教え始めると前述のようなことは実際に起こるのである。瞑想も教授は、危険な、責任の伴うものである。氣の不正常が病氣の始まりと考える東洋医学は氣を正常に戻すことで、未病を治療する。この道理を理解せずに修行半ばで教えている者は真には師範ではない。