生命力

人が病氣になったり、ケガをした時に運命を分けるセッパ詰まった状況に遭遇して生きるか、死ぬかの際には、生命力の強い者が生き残るようである。生命力はもちろん、氣である。私は何回も当然死ぬはずであった危機を生命力で切り抜けた。もちろん、運もあるだろう。運だけでは説明出来ないことが起きた。日本で二、三回、アメリカでも数回生き残った。日本、アメリカ、日本と住む場所がガラリと変わる度に死地を乗り越えている。タヒチへ行っても危機があるかもしれない。腕の骨を折った時には医者へ行かずに様子を見て、痛みを我慢して骨折の痛みを体験して、日本に帰国して初めて医者に診てもらった。大分良くなって、物を何とか掴めるようになっている。いっぺんに二本の骨を折り、手首より先がぶらんとなって、二本の骨は完全に砕け散って、レントゲンに骨は写っていなかった。でも一カ月もしないうちに骨は再生して新しい骨が生えて来た。身体の設計図は骨が無くなっても骨はその形通りに生えてくる。左膝の手術を考えていたが、懸命のリハビリの後に膝を深く曲げられるようになっている。お尻が踵につきそうになっている。とても不思議な結果となっているのだ。身体障害者4級の介護度2であったけども今は介護度1になって、健常者に近づいている。杖無しの歩行訓練を開始した。私の生命力はとても強いのではないかと思っている。人生を生き抜く上で大切なものである。何度も身体を壊して、その度に蘇る。生命力を氣力と言っても良いだろう。氣こそが病いとケガを治癒する源のエネルギーである。決して医者が根本から治してくれる訳ではない。治してくれるチカラは自分自身の持つ氣である。自然治癒力とも言い、生命力である。私の生命力は尤氏長寿養生功を修行して、さらに強くなった。せっかくこの世に生まれて、自分が持つ氣、生命力を強めない手はない。親からもらった生命力を無駄にしてはいけない。瞑想と基礎訓練を続けながら、楽しんで、生命力を強くして生きる。師母が良く言っていた、健康で長生きした者が人生の真の勝利者である、との言葉が今は身にしみる。