happiness 幸せ

人間を観察していて、その人の言動や行動を見ていると、明らかに幸せか、幸せで無いか、すぐに分かる。あなたは幸せですか?と聞くと、無理して、私は幸せです!とウソをつく。なぜ、そんなに無理するのだろうか?と疑問に思わざるを得ない。心を見透かされて、追い詰められてウソをついてしまう。急に去って行ってしまった教師も同じようにウソをついた。一番根幹の大事な質問にウソをつく。自分のツギハギだらけの自分を構成している基礎土台がホントのことを言うと崩れ去ってしまうからだ。 今、自分のニセ、ウソ道場を開いていても、幸せなんてある訳が無い。自分の理性のカケラは自分が悪いことをしていることは分かっている。それなのに、無理ムリ、先生ヅラして、足りていない修行でそう大将、と名乗らなくてはいけない。これは相当にキツイことだろう。また肩を衣紋掛けのハンガーのように緊張しているに違いない。なぜにそんなに自分のホンネを隠して、自分の心と反対のことをしてしまうのだろう?私にはその理由も分かっている。生きているうちにそんな生き方しかせざるを得ない事情を抱えていた。自分の弱みを見せたらアカン、と自分に言い聞かせて生きるほど酷なことはない。一度は救いの手を差し伸べた時もあったが、私に、私の団体に反旗を翻したのであるから、これは戦争である。戦争である限り、私は負ける訳にはいかない。幸せでない者が幸せの旗を振って、生後を集めても、何の幸せを与えることができるのだろう?逆に私は帰国以来、何遍も繰り返して言うが、私の毎日は楽しくて嬉しくて、幸せな日々を送っている。タヒチに行って、経済的にも今より何倍もの収入を得ることができることが分かった。タヒチに移住したらもっとさらに、幸せになる。自立した自分の自由と尤氏長寿養生功の発展を島の皆んなと一緒に分かち合うことができる。その上に経済的にゆとりのある暮らしが待っている。初めのうちは苦しい時もあるだろうが、友人たちが、すでに指導員たちが助けてくれる。日本に居て、お金が無くても、すでに世界一幸せな男であると思っているのに、これでお金が入ってくれば、さらに幸せになることは目に見えている。幸せは、ウソをつかない素直な心で生きる人生の中にもたらされるものである。私は happy  である。幸せな者だけが幸せを与えることができる。