一人勝ちの終焉

家元や師範のところにモノとカネが集まる古い日本の芸道資本主義と言うようなシステムは今日の時代には全ての人が納得出来るものではなくなっている。家元や師範も一道場生であり生涯一武術家一瞑想家で、自分の道場生と共に歩む者でなくてはいけない。求めていることはカネではなく、全ての人が教えていることを訓練して幸せになってもらうことが目的であるはずだ。尤氏意拳の総師範と自称する者の取った行動を見れば、一目瞭然だ。カネやモデルのオンナが目的だった。キッパリツッパリの総大将を見れば、人前に出ること、自分を見せびらかすことが目的である。こんな動機は個人の私欲だから、究極には、生徒が見破ってみんなが去って、破滅するだろう。私太田氣功道場の主宰が目的、求めるのは私欲のカネや自己顕示欲の発現ではない。私が尤氏長寿養生功の氣で、幸せになったので、日本人に、世界の人に同じように幸せになって欲しいと云う想いである。そこで私はずっと考えている。私は尤氏長寿養生功を教えて教授料は徴収するが、氣功学校の教師と支部長にも教授料が行き渡るシステムにして、太田氣功道場に関わる者全ての人に経済的に潤ってもらいたい。少なくとも、太田氣功道場の道場生には貧困に悩む者は皆無としたいと私は期待している。私は死の直前まで働きたい、と思っている。今の時点では指導員に金銭的に助けてもらう時もあるが、タヒチに移住後は私が鍼灸の資格で指導員に頼ることも無くなるので、氣功道場からの収入を私的なことに流用することは無くなる。氣功発展の為に使うことになる。そのカネは指導員と教師で分割することになり、皆んなが潤うことになる。これが私が考えている理想的な道場運営である。私も含めて、皆んなで共有して皆んなが潤う。こうすれば、尤氏長寿養生功は私の代で世界に拡がるだろう。問題は一人一人の心の中身を確立して、幸せに経済的に潤って、その余力でまた尤氏長寿養生功の発展に尽くすのである。ますます拡がることになる。すでに本部道場の土地が提供されて、施設の建設費を集めるだけになっている。その為にも、多くの人が道場生になってもらい、少しのお金をたくさんの人に提供してもらえば、道場も建設出来ることになる。これが私の出した結論と作戦なのだ。そして、その完成の日はもうすぐ来る。もうすでに半分ほど道を歩んでいる。ある程度の人数に達するとその後に雪だるま式に大きくなって行く。神道大本教の教えには神は持ち切りにはさせない、と言うことだから、ずっと家元や師範が一人勝ちで自分だけが儲かることはないのである。皆んなが勝つ。負け組も貧困も無い。道場と言っても、会社のようなものだから、皆んなで協力して会社を大きくしていくようなものである。なるべく多くの人に参加してもらい、皆んなで幸せになってもらいたい。