座禅

立禅で溜められた氣を全身に行き渡るように身体の隅々に氣を巡らせることが目的となる。氣功と言えば、もうそれは瞑想が手段となって、インドのヨガを中国ではユガと発音して、ヨガを氣功と同じように見て、インドの氣功としている。日本の禅は悟りへの手段となっているが、尤氏長寿養生功ではチベット密教の瞑想を融合して健康長寿への手段となっている。アメリカのハーバード大学の医学部で開発されたマインドフルネスストレスリダクション、 Mindfulness Stress Reduction  はチベット密教の瞑想を基本に開発されたのであった。ハーバード大学で開発されるずっと前に、ドクター尤老師によって、既に、尤氏長寿養生功にこの瞑想は取り入れられていた。その先見性はドクター尤老師が武術家であると同時にドイツに当時留学して最先端の医学を学んだ医師でもあったからである。当時中国最強と言われた意拳と当時最新の医学とチベット密教の瞑想が理想的に融合した健康法が尤氏長寿養生功でもあったのである。私は入門当時から座禅を続けている。1987年からであるから三十年の間、毎日の日課となっている。そのせいか、病気をしても、大ケガをしても、奇蹟的に早く治り、重い病体にはならない。氣功の効果を私自身が体験している。震脚、立禅、座禅、に意拳の基礎訓練が混然一体となって、尤氏長寿養生功を成しているのである。これを自分の都合で勝手に分断して、実力も無く、資格無くして、教えている者がいるが、総合的にお互いが作用してその効果が現れるので、生徒がもっと学びたいと思えば、全てを教える太田氣功道場に最終的には入門せざるを得ないであろう。私が身体障害者となった今でも、椅子に座って、道場生を勁空勁で投げ飛ばすことができるのは、これまで述べて来た尤氏長寿養生功の訓練法を全て長い年月をかけて習得したことによるものである。訓練、修練はウソをつかない。自分が修練した分だけ、自分が出来ることになる。ウソの言葉でいくら訓練の穴を埋めようとしても、見えない内側の実力やチカラは周りにいる者と生徒には見えるもので、いづれは気づかれてしまうものである。