良師

今まで述べて来た中に私の師母を念頭に良師と言う言葉を使っていた。良師は長い年月をほとんど苦行とも言える修行を重ねて、教える内容は習った内容を変えることはない。伝統を受け継ぎ、そのワザは神技と言えるほどの出来栄えで、他の流派を圧倒する。師母はまさにそのような師であった。私はそのような武術の師で、神技と言えるワザを持った師には会ったことはないので、余計に練習訓練に打ち込み、勁空勁の習得に励んだのである。訓練をすればするほど、自分が上達するのが分かり、海外に出ての武者修行にも拍車がかかっていたのであった。私にチョット習って、すぐに自分の都合で道場を開いてしまう者たちは自分で自分を総師範とか総大将などと自称をしてはいるのであるが、勝手に自分の都合で教える内容を変えている。私の師母と私も自分で自分を師範などと呼んだことは一度も無い。知る者は語らず, 語る者は知らず、と言う格言があるが、まさに、師範と自分を呼ぶ者は師範にあらずして、自分を師範と呼ばぬ者が師範である。師母はいつも我々を叱り、いつも瞑想をして、敬虔な仏教徒であった。私も師母をお手本にして、良師となるべくして日夜研鑽を積んでいる。