補と瀉

補瀉は鍼灸に於いては、氣を患者に対して患者の氣が不足している時に補うことを補と言い、余りある時には瀉することを瀉と呼ぶ。氣を過不足無く、経絡内を流れるようにする鍼灸師の技術を指す専門用語である。が、実際にこの技術を実践している鍼灸師は少ない。単に鍼を打ってそのままにする者が多い。氣をコントロールする技術を習っていないからだ。鍼灸学校へ行って最初に習うことは私が行った時もそうであった。大学に鍼灸の氣の講義で、氣が経絡を流れて、氣血の滞りが東洋医学の病氣の原因であることは習うが、氣については何も教えてくれない。誰も見たことも無いものについて教えている。私がサンフランシスコの鍼灸大学に行った時もそうだった。卒業して中医の免許を取った後に尤氏長寿養生功に出会いがあって、初めて、氣を私の目で見て、その存在を目の当たりにしたのである。氣は実際には存在して氣が人間の身体を動かして投げ飛ばすことも可能であった。衝撃的な出会いであった。それからは、寝食を忘れて訓練研究した。三十年経った今では、鍼を打つ時には補と瀉は簡単にできるようになったのである。使うことも出来ない鍼灸師や武術家武道家がたくさんいる。私は鍼を使わなくても、補と瀉をできるようになっている。鍼は道具であって、氣功を充分に学ぶと道具を使わなくても、治療が出来てしまう。東洋医学では、氣の方が道具である鍼よりも重要で、氣が無ければ、治療は出来ないものであることを私は尤氏長寿養生功を学んで知ったのである。それほどに氣は東洋医学の根源の核となるものなのである。氣を使えるようになるには、氣功、尤氏長寿養生功を長年修練しなければならない。が、一旦習ってしまえば、簡単にいつどんな時でも使えるようになる。氣を知らない使えない東洋医学の治療師や武術家武道家は発声法を知らない使えない歌手のようなものである。重要な基礎が無い者が治療して、武術武道を教えるようなものである。氣を使えるまでになるには、相当な訓練と時間が必要で達人の域に達した者だけが出来る世界であろう。私の経験では、一心不乱に狂ったように毎日針の穴を通るような訓練をして初めて出来るようになる。そのところまで昇華されたワザは日本だけでなく、世界に通用するレベルとなり、世界の武術家武道家が大いに興味を持って、あちらの方から連絡をして来て、習いたい、と言ってくるものである。今、タヒチの住民で武術武道に携わる者やヨガをしている者から Face Book  で連絡があり、私はこれらの人々と毎回テレビ電話で尤氏長寿養生功の概要を説明しているところである。少しずつ世界に拡まっている。