生きることは尊い

百歳まで生きて行くに際し、ただ生きるだけでは見苦しい。病氣や災害を乗り越えても、達成しなくてはいけない目標を持って生きて、生きることの尊さを実感する。鶴のような脚をして、ヨロヨロと歩くアメリカ人の老人を何人も私はアメリカで見かけた。ただ、死を待つのみの老後は情け無い。老後だからこそ、自分の得意なことで、誰もしたことのないことを成し遂げたい。例え百まで生きなくとも、精いっぱい生きようとする努力が大切なのだ。どんなに貧しくとも、心に高貴な理想やワザを持つ者には助けの手が差し伸べられる。自分の中にある誰もマネ出来ないものは氣が最高に眼から発せられて、心ある者はそれに気づく。ウソで固められた者の眼には神、シェン が無い。世の中に真に訴えることがあるうちには死のうと思っても死なせてはもらえないものである。目標目的が神の眼に叶うことは生きて達せられるまで生かされる。貧困や逆境は目的目標を持つ者には何でも無いことなのである。今の私がそういう心境で毎日を過ごしている。でも、楽しくて幸せな毎日である。私の顔から笑顔が消えることはない。