Simple is the Best

 シンプルイズザベストの言葉は真理を現している。どんな難しいこともその奥に潜む技術の原理奥義は簡単で明瞭な原則、考え方である。尤氏長寿養生功の勁空勁を学び始めた時は相手の先輩の両肩をチカラいっぱい、押せ!と言われて毎日二回一人につき百回押した  。五人先輩がいたので一度の練習で五百回、師母と三十回一日千六十回、六ヶ月ほど行った後にようやく師母の両肩を押すことになったが、何も氣を感じない。私が氣に対して鈍感なことに気づいた。それはさしおき、尤氏長寿養生功の勁空勁の訓練は意拳の練習の訓練と同じことになる。それは、相撲と同じように相手が押したら押せ!引いたら押せ!という格闘の基本であった。ある日、氣がつけば、私の身体はお相撲さんのように肩の僧帽筋は盛り上がり、下腹がデップリと突き出て傍目で見ても、相撲取りの体型となっていた。私は言われたことを忠実に人が十回することを百回、百回することを千回してやろうという意欲に燃えていた。とにかく押し続けた。そしてある日、師母を押したら、何か分からないチカラで私の身体が反応して転がってしまった。師母の氣を感じて私が投げられたのであった。とても嬉しく、何回も何回もやり直して確認した。簡単な動作を繰り返すと結果は必ず出てくる。三年ほど同じことを繰り返して先輩とも勁空勁の練習が出来るようになる。私の日課は朝起きて、ベッドで瞑想、朝の練習で汗を流して帰宅するとシャワー、食事もそこそこに夜の練習を終えて夜遅く帰宅してすぐシャワー、寝る前に瞑想、単純で簡素な同じことの繰り返しの毎日であった。当時何年も服を買ったことはない。考えることはどうしたらもっと良いジャンプをして、師母にハオ、好、と言ってもらえるかということだけであった。まさに氣功三昧の日々である。誕生日、クリスマス、週末のパーtぃーも返上した。その簡素な毎日は何年も続き、私は先輩を勁空勁で投げたりコントロール出来るようになっていた。日々の訓練は薄い紙を一枚ずつ貼るような作業でいつかその厚くなった紙は刃物を通さない分厚さとなり、もっと厚くなれば、弾丸も貫通出来ない強度を持つものとなる、そんな作業に似ている。もちろん家庭や家族を持って仕事をしているとそんな生き方は出来ないが、私は離婚もしており、一人暮らしの身軽さであるからそんな過酷な訓練が出来たのであるが、、、。とにかく何かことを成そうとする時には無駄なものは省き、日々の生活を簡素に削ぎ落としてシンプルになっていなければならない。訓練もシンプルだが、生活もシンプルにすると欲しいものが手に入るものである。三十年を経て今、タヒチに移る前の私の日常はまた、簡素に、シンプルになっている。勁空勁のワザの習得する基本訓練もシンプルだが、タヒチの新しい生活を成功させることにもシンプルで簡素な下準備が必要である。成功の為には、面白味もない、退屈な簡素な生活も厭わないものである。