瞑想は芸術

私の三十年の尤氏長寿養生功の氣功の修練の後に気付いた、結論を言えば、自然のフォルム、形状は美しく、建築家や芸術家が自然にヒントを得て作品を作って来たように、氣功の瞑想も身体の芸術と言っても良いだろう。つまり、人間も自然の一部であるから氣、エネルギーの自然に流れる瞑想の身体のフォーム、形は美しく見える。自然な流れに逆らい、緊張しているフォームの瞑想は美しくはない。站椿功をしている時にリラックスして最大限に膝を曲げても、苦痛の無い、カチっとフォームが決まり、そのままずっと立っていられる時には氣が綺麗に流れているので、形が美しく、自然なエネルギーの流れがあるので筋肉は痛まず、気持ちが良く、長時間立っていられるのである。そんな体験をする時には傍目から見れば、美しく見えている。私には一目見ただけで、その者の瞑想の深さと技倆が分かってしまう。座禅も然りで、背骨が真っ直ぐで、呼吸が止まっているように、まるで呼吸をしていないようになっている場合は無心に瞑想をしているのである。だから、立禅も座禅も長年していると美しく見えるようになる。瞑想によって背骨が綺麗に真っ直ぐになれば、立ち姿も綺麗に決まり、意拳の立ち姿で後ろ足に重心をかけて立っているだけで、どれほどの功夫力量があるかも見ただけで分かってしまうのである。武術や瞑想は師範と自称している者の立ち姿と瞑想の姿を見せてもらえば、一目瞭然である。特に尤氏長寿養生功は瞑想が主体、というより、百パーセント瞑想の心身の芸術であるから、誤魔化しようが無い。人工のものを見て、美しくは思えないが自然のものは何でも美しい。氣も自然に任せて、自然の流れが我々の氣の流れになると強く柔らかく、健康になると私は長年の瞑想の結果、そういう結論に至っている。日本の自然も素晴らしいが、タヒチにもワイルドな自然が残っており、タヒチの自然に囲まれて、瞑想を続けることが楽しみでならない。