武術も芸術

瞑想が芸術であることについてはすでに述べてある。武術も芸術であることは英語で Matial Arts  と言われていることからも分かるように武術も究極的にそして本質的にも芸術なのだ。それでも、この現代に於いても、勁空勁が現実にケンカの道具として使えるか?とか、他の意拳の団体から挑戦を受けるとヤラレルとかそんな低レベルの中学生のような論理を振りかざす者が出て来た。武術を闘争の道具にしては武術武道の本義に反することを知らぬアホウな者の発言であることは間違いない。武術武道を芸術のレベルにまで昇華させることが人間の人間たる所以である。人間が人間として生きるか動物、ケダモノとして生きるか?の分岐点でどちらを選ぶかは自分の理性と良心に従って行動することになる。私は理性と良心を選び、人間として生きたい。理性と良心の無い、ケダモノたちは、私の糾弾の結果、自分を師範と呼べずに今では、英語のチカラも無く、マスターと自分たちを呼んでいる。マスターと言えば、喫茶店のマスターもマスターである。こんな者たちにはお似合いの名称である。マスターたちに武術が芸術で、瞑想が芸術であると言っても、理解出来る理性と良心、頭も無い筈である。先ず、私が you tube  で掲載しているレベルの勁空勁の動画を作成してみよ!そんなことも出来ずに裏に隠れて誹謗中傷をする。誹謗中傷とは根拠の無い悪口や暴言のことを言う。私は事実であることを根拠に暴言と悪口を言ったから、これを誹謗中傷とは言わない。日本語を知らぬ国語の教師も日本にいることを私は知らなかった。尤氏長寿養生功の本質は究極の最高の武術であって、その訓練法は瞑想である。私の体験から今、言えることは瞑想も武術も芸術であるから、尤氏長寿養生功は最高究極の人間の心身の芸術であると思っている。この心境になるまで修練せずには師範と自称出来ずにタダのチープなマスターとしか自分を呼べないのは当然なことである。