動と静

中国の古代哲学は相対する陰と陽の和合から生まれるエネルギーが万物の源と考えて、易の考え方も陰と陽が出発点となっている。硬と軟でも言ったことではあるが、尤氏長寿養生功の氣の養成にも相反するエネルギーを使っていることを私は発見した。站椿功は動の瞑想で、座禅は静の瞑想と言えるだろう。さらに、震脚、ジャンプは究極の動で、その逆の究極の静が座禅に当たる。水力発電の水を高い所から一気に低い所に落としてタービンを回して電気を作るように、尤氏長寿養生功では極端な動のエネルギーとジッと座って動かない静のエネルギーの差が大きくなればなるほどに体内の氣のエネルギーは多く溜まるものではないかと私は考えた。震脚はサンフランシスコの道場で一番強く出来るようになって座禅も一度座ったら、絶対動かない!と決心して修業した。いわゆるベクトルをプラスとマイナスの逆の方向に向けることでその差を大きくするとエネルギーは大きくなると考えたのである。果たして、私の氣は勁空勁をこなせるポイントまで養成された。もちろんそれだけでは 何も起こらない。氣を使う技術は別のものである。他の氣功の流派とはここが決定的に違う点である。立禅震脚と座禅が尤氏長寿養生功の秘密であり、極意で奥義なのである。言葉で言っても、私が一時期せがまれて、勁空勁の仕方をチョット教えたオトコが全て習って尤氏長寿養生功を受け継いだと言っていたようだが、とんでもない勘違いをしている。それで終わりではない。そこから先に訓練は続くのである。幼稚園児の頭しかないから無理もないが、幼稚園から小学校に入って、中学高校大学とあるように、学ぶことはまだまだあることを知らない。どこで学業を止めるかは本人次第である。私は今、博士課程にあると言えるだろう。三十年ほど修練したら、博士課程にはなるのではないか?研究と実験と観察を三十年続けたら、ここまでの内容を書くことができるようになった。が、今でも模索中なのだ。いつでも何処でも誰にでも勁空勁を打てるには?と修行半ばなのである。完成することはないと私は思っている。完成に向けて努力精進する姿勢が大事なのである。今日も明日の講習会に向けて瞑想と修練を怠らない。